東日本大震災からひと月あまりが経ちました。
党本部における連日の対策会議を経て、先日やっと被災地に足を踏み入れることが出来ました。
4/18(月) 午前中
広島空港から羽田空港に乗り継ぎ、いわて花巻空港に到着しました。
そこからレンタカーを借り秘書と二人で釜石市に行きました。
まず、この地を踏みしめる人誰もがするように、私も両手を合わせて哀悼の祈りを捧げました。
そして目の前に映し出された、釜石市。




私は大学を卒業した後、新日本製鐵でお世話になっておりましたが、釜石市には、ご存じのように、新日鉄釜石製鉄所があります。
ゆえに釜石は、私の青春時代の一つの舞台でもある訳で、相当な思い入れがある土地なのです。
なので、今回の視察で真っ先に釜石に向かった訳ですが、変わり果てた釜石、異常に静かな街のたたずまいに、私は絶句しました。
活気ある釜石市だった頃の記憶しかない私にとって、私の目に映し出された瞬間、後頭部を殴られたような、衝撃というか、痛みというか。
うまく言葉に出来なくて申し訳ないのですが…。
明らかに士気の下がる心境のまま、大船渡市、陸前高田市を視察しました。




その翌日から、相馬市、南相馬市、名取市、仙台塩釜港という、2泊3日の行程でしたが、いずれの被災地も、想像を遙かに超えた状態でした。
今踏みしめているこの地で、多くの方々が大自然の脅威の犠牲者になったことは、事実であります。
あまりにも大きすぎる自然の脅威の前に屈するしかなかった事が、本当に悔しくてなりませんでした。
この度の視察は、役所の随行などはなく、あくまでもいち国会議員として視察したので、まさにありのままの現状を、この足で回ることが出来たことは、ある意味収穫が大きかったと思います。
様々な事情がからみあったとはいえ、個人的にはもう少し早く視察したかったというのが本音です。
しかし、逆に、混乱の中で視察したとしても、次の展開の青写真が冷静に構築できたかというと、イエスとは言えないと思います。
この時期の視察だからこそ、得る物があったと、自分なりに確信しています。
確かに、最初に見た釜石には、個人的な感傷が交錯し、苦しかったです。
しかし、国会議員としていつまでも感傷にふけっているわけにはいきません。
私は、この国が前進するために、率先しなければならない立場なのですから。
この度の視察で得た多くの要素を常に念頭に置きながら、これからの復興に向けて、地に足の付いた対策を提言し、実現して参りたいと思っています。